パット・メセニーのソロ新作は、「オーケストリオン」という「生楽器の自動音楽演奏装置」をフィーチャーしています。
これは、まさにジャケット写真のとおりで、オルゴールとか、西部劇に出てくる紙のロールで自動演奏するピアノとかのイメージでしょう。コンピューターなど現代の機器を一切使わず、たくさんの生楽器をパットが一人であやつり、合奏するというところが味噌のようです。
興味津々で聴いた「意欲作」。
まず、「あれっ?これって、いつものパット・メセニーと同じじゃないの?雰囲気といい、楽曲構成といい・・・。」というのが第一印象です。
となると、大きな疑問が湧いてきます。
「パットはなぜ、一人で苦労してこんな大仕掛けで、いつもと同じような音楽を演ってるの?」と。
ほかの人間と合奏するよりも、コンピューターでやるよりも、この機械の方が「良い演奏、良い音」、あるいは「独特な演奏」ができるなら分かるんです。でも、出来上がった音楽は、いつもと同じようで、いつもよりは特に良くありません。リズムも平坦ですし、ニュアンスにも多少欠けます。あたり前です。機械の自動演奏なんですから。
とすると、一体なんだ??まさか、パットの自己満足???ひょっとして、エコロジーとか、地球にやさしいとか???そいつは嫌ですね。パットも、功成り名を遂げて、そんなことにしか興味が湧かなくなったのか?
パット・メセニーはいつも生真面目で、優等生だから、いつかそっちの方に行ってしまうんじゃないかと恐れてました。ミュージシャンは、その生み出す音楽が全てなのであって、その「過程」には一切意味はないのですよ、パット・・・。
パット・メセニーって偉大なワン・パターンなんだと思います。ギターの音色はデビュー以来一切変わりません。作曲のコア部分も、実は同じです。そこを、ライル・メイズと一緒に格闘してきたんですが、その方向は基本的に「複雑化、大規模化」でした。その極地が、2005年の「ザ・ウェイ・アップ」。ただ、これも一見斬新に聴こえますが、実は今までの彼の音楽を極限まで複雑・多重化しただけで、そこに音楽の「革新」はなかったんです。
結局、パットの最高傑作は「サン・ロレンツォ」。ピークは、80年代終わりの「レター・フロム・ホーム」の頃まで。それ以降、実はどんどん煮詰まって行く過程だったんじゃないか?。誰よりも、パット自身が、それを自覚してるんじゃないか?
そう想って聴くと、深刻です。
その解決策が、「一人で自動演奏」というのはが違うんじゃないか、ということです。ワン・パターンならむしろ、もっと多くの異能のミュージシャンと他流試合をするとか?たとえば、チック・コリアがバンジョーの名手ベラ・フレックと演ったように。
4月公演のチケットも入手しました。この自動機械楽団を、とくと見定めてやろうじゃないの。結論をはそれからかな・・・。
頑張れ、パット!
コメントを残す