グループ・サウンズには、リアル・タイムで熱中しました。
中でも、特別に好きだったのは、ザ・スパイダース。
たくさん好きな曲があるけれど、やっぱり頂点はこの曲、『あの時君は若かった』でしょう。
リリースは1968年3月5日。作詞:菅原芙美恵、作曲:かまやつひろし。オリコン6位のヒット。
まず、イントロの「ファズ風エレキ・ギター」でしびれますねー。
堺正章と井上順の素敵なデュエット。サビのビーチ・ボーイズ風コーラスの分厚いこと。
オブリガードを入れるのはエレキ・シタールかな。大野克夫の「VOXオルガン」のソロも可愛らしい。
とにかく、当時の歌謡曲とかけ離れたポップ性が素晴らしいです。
グループ・サウンズ・ブームで、たくさんのバンドが現れたけれど、ザ・スパイダースの立ち位置は、初めから少し違っていました。
1965年のデビュー当初から、ブリティッシュ・ビートの影響を受けたオリジナルで勝負。ファッショナブルで、エンタテイメント性にあふれて、とにかく、僕らに「洋楽の楽しさ」を届けてくれたのがザ・スパイダースだった気がします。
その中心は、言うまでもなくムッシュ・かまやつひろしでした。
スパイダースのオリジナル曲をほとんど作曲し、ロンドンのファッションや、最先端の楽器やサウンドを持ち込んで、ぼくらを楽しませてくれたのは、みんなムッシュだったんですよね。
彼の音楽性は、そのインタビューにもよく現れています(1998年「レコード・コレクターズ」):
「僕が好きだったのはキンクスとかゾンビーズとか」
「ハーモニーにしても、ビートルズの4度ハーモニーであるとか、主旋律が一番薄くてハーモニーが出てくるような音楽が好きだったんですよ」
「VOXのマーク6を弾いてたのは、フェンダーの抜けのいい乾いたサウンドが好きじゃなかったから」
「友達が買ってきてくれたファズの使い方がよくわからなくて、<サティスファクション>だけ何度もやってました」
「とにかく人より早くやるいうのがテーマだったんですよね」
そんな「最先端」を走っていたムッシュも、亡くなってしまいました(2017年3月1日78歳没)。
ところで、「あの時君は若かった」の歌詞ですけれど、これが当時はなかなか分かりませんでした:
あの時君は若かった
わかって欲しい 僕の心を
小さな心を 苦しめた
僕をうらまずに いておくれ
それでも君が望むなら
僕は待ってる いつまでも
きっとわかって もらえる日まで
僕は待ってる いつまでも
あの時僕も若かった
ごめんね 君を困らせちゃって
僕の心も 苦しいんだ
僕を許して 欲しいんだ
それでも君が望むなら
僕は待ってる いつまでも
それでも、今は分かります。年をとって、しみじみと・・・。
ムッシュも黒柳徹子のインタビューに応えて、こう言ってるんです:
「皆があの時若かったので、この歌の意味がわからなかった。だからこの歌を作っておいて良かったと、今は思っています。」
本当に、しみじみと・・・・。
さて、かまやつひろし、そしてスパイダースの功績を讃えて、代表曲をご紹介いたします:
『フリ・フリ』
やっぱり、コレがデビュー曲ってんだから、相当ヘンでしょう?なんと三三七拍子!?ムッシュの天才性としか言いようがありません。
『バン・バン・バン』
これもムッシュの代表曲。マンチェスターのビートグループ、ザ・マインドベンダーズの曲「Love Is Good」のリフをそのままパクってるのは有名な話。しかし、こういうのを普通にやれちゃうのがすごい・・・。
『なんとなくなんとなく』
カントリー・タッチの名曲だなー。井上順のイメージにピッタリでヒット。大野克夫のスティール・ギターも効いてます(あれ?後ろでなってるストリングスはメロトロンかな?)
『いつまでもどこまでも』
これも井上順のソロでヒット。オリコン4位。とにかくムッシュのメロディー・センスに脱帽:
『真珠の涙』
個人的には、これが「あの時君は若かった」に次ぐかまやつひろしの傑作として超大好き。なんと、この濃密なアレンジを担当したのが若き筒美京平!。とにかく素晴らしいわー。
『エレクトリックおばあちゃん』
スパイダース最後のシングル。1970年9月。とにかく、いったいこのセンスはなんでしょう?!
でも、結局一番ヒットしたのはこの曲だったんだよなー。『夕日が泣いている』。作詞作曲浜口庫之助。スパイダースのみんなは、嫌で嫌でしょうがなかったらしいんですけど、120万枚突破の特大ヒットに:
そして、これもハマクラの『風が泣いている』。はっきり言って、ものすごく好きでした・・・:
ということで、久しぶりにまとめて聞いたら、これまた思い出たっぷり!
ザスパイダースよ、あなた方がは偉大でした!
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